バックトゥザフューチャーで考える映画からみる日本という存在の変化

ロバート・ゼメキス(Robert Zemeckis,1952-)監督作品である『バックトゥザフューチャー』(Back to the Future 1985)はアメリカのSF映画で、公開当時全米でフューチャー現象と呼ばれるブームが生まれるほど大ヒットした映画です。全三部作になっており、全ての作品が人気を博した。『バックトゥザフューチャー』はその中の第1作目にあたります。
 『バックトゥザフューチャー』は1985年のカリフォルニア州ヒルバレーに住むマーティ・マクフライのタイムスリップが主軸となって進んでいきます。お父さんは尊敬できないし、家は荒れ果てているし、と現状に満足できていないマーティはある日、親友のエメット・ブラウン博士とタイムマシン「デロリアン」の実験に成功します。しかし、その実験の材料であるプルトニウムを調達するために騙した過激派の襲来にあい、ブラウン博士は死んでしまうのです。マーティはテロリストから逃げるためにデロリアンに乗り込みそのままタイムスリップで30年前のヒルバレーに行き着いてしまいます。そこで紆余曲折があり、自分の両親の仲を取りもち、未来へ帰る頃には理想の家族になっているという「希望的成功譚」のような物語です。

 アメリカンドリーム的なこの作品(そしてそれが面白いところなのでしょう)なのですが、実はこの映画内の随所に日本の工業・商業製品が使われています。そこでこの作品を通して見られるアメリカでの日本文化の発現と立ち位置の変容を考えてみましょう。
 そのためにはまず日本製品が粗悪品という認識を持たれていたことについて説明せねばならないでしょう。過去に「行った」マーティが日本製品を褒めたときにその時代の若者に馬鹿にされるというネタがあった。これはマーティの時代と昔の時代の認識にズレがあったという他ならない証左でしょう。
 しかし、マーティが時間を逆行したのはたった30年です。そして、その短い間に世界における日本の立ち位置が大幅に変わったのです。
 それがかなり強烈にわかるワンシーンが大団円のシーンです。そのシーンではタイムトラベル前の冴えない家族が理想の家族に「変わってしまっている」描写(個人的にはこれで喜んでいるマーティという構図が家族間の愛情が薄れているのではないかという風刺と思えて仕方ないです)があります。そのような最後を締め括る瞬間に登場するのがトヨタのRV車です。マーティはトヨタのRV車に強い憧れを持っていました。マーティの理想を達成するためには男らしい父親と「日本製」の車が必要だったのです。50年代の若者からは考えられもしなかったことが80年代の若者の「普遍」として描かれているのです。
 たった一つのシーンだけに日本製が登場しているのならばそれは偶然でしかないでしょうが、このシーンだけではありません。

 作品中にマーティが学園祭のオーディションでバンド演奏をしているシーンがあります。そしてその時に使っているギターは日本の星野楽器(製品の商標はIbanez)製品なのです。この時代はちょうど星野楽器の外国人アーティストのシグネイチャーモデルが徐々に有名になり始めた時代で、有名どころではジャズギタリストの大御所であるパットメセニーがIbanezのギターを使ってレコーディングしていました。そんな時代だからこそ大事なオーディションで使われていたのは「日本製」の楽器だったのです。余談ですが端役であるドラマーのドラムセットも日本製であるYAMAHAのものを使っています。
 そして、後に過去に行ったマーティがパーティで多数の人間の前でギターを演奏するシーンがあり、これもアメリカンドリームが果たされた一つの例となっています。学園祭のオーディションのシーンはこの伏線であったのです。

 そのほかにも日本製品が使われている描写があります。タイムトラベルが成功するシーンで、ドクが嬉しそうにビデオカメラに向かってタイムマシンの説明を行っているのですが、そのビデオカメラは日本ビクター製でした。この映像は過去に戻ったマーティがドクに見せることによってマーティの存在を彼に証明するものとなります。アメリカ人が自己の存在を証明するために日本製品を使ったのです。そして、件のワンシーンが物語を大きく進めるきっかけとなっており、かなり重要なものとして描かれています。

ほかにも過去に戻ったマーティが父にヴァンヘイレンを聞かせるときに用いたポータブルオーディオプレイヤーはAiwa製品でした。面白いのはAiwaやIbanezなど、おそらく現代の日本人的にはあまり有名でない会社の製品が使われていたことです。製作者の日本製品に対する意匠が見られます。

 さて、ここまでは映画内での日本製品の発現を見てきました。しかし、私が言いたいのは作品の見所ではありません。この発現を踏まえて戦後の辛い時代を乗り越えた日本がどのような立ち位置にたてたのか、アメリカ人の中で日本とはどのようなものになったのかを考察したいと思います。

 先に述べた「大団円」「学園祭」「ドクの解説」の3つのシーンから日本の立ち位置の強烈な変化がわかります。
 それはこの年代において日本製品が憧れに変わったということです。だからこそ日本製品がアメリカンドリームの一翼を担うことも疑問に思わなかったですし、自己の証明に日本製品を用いることが不自然ではなかったのです。

 『バックトゥザフューチャー』では、日本製品が馬鹿にされるような物から「アメリカンドリーム」を達成するためには必要な物という変化が見られます。前述した通り、この映画はタイムトラベルを通して希望的成功を描くもので、アメリカンドリームを彷彿とさせるものでした。そのアメリカンドリームを達成するために物語上必要なものになったのが日本製品である以上、日本が戦後の不況を乗り越えて、新たな境地を発現したのがよくわかる描写ではないでしょうか。

 「日本」というものは不思議な国で、戦後の劣勢の中でも今日に見られるように強く生き残ることが出来ました。『バックトゥザフューチャー』はその発現を垣間見ることができ、同作品内で比較することが出来る作品です。
 そして、この比較の結果、アメリカンドリームやアメリカ人の希望的成功において、あってもいいものではなく必要なものとして描かれるほどに日本の存在が昇華されていることがわかりました。その背景には日本の戦後の絶え間ざる努力が窺えるでしょう。偉大なる先人たちの努力が発現したことはある意味、必然たる帰結で、その発現した場所が『バックトゥザフューチャー』だったのでしょう。
 商業的な作品にその発現が映ったことはある意味不運なのかもしれません。作品をたのしむあまり(面白い映画なら尚更)日本の努力を考えて映画を見ないでしょう。自国の凄さをその国民は気付けないのです。これを不運と言わずしてなんと言うのでしょうか。しかし、このような隠れた意味や文化的に価値ある発見が商業映画に発現するようなことはこれからも起きうることです。それを見つけず、映画をただの娯楽として楽しむのは非常にもったいないことなのではないでしょうか。それ故に我々はただ映画を娯楽として興じるのではなくその本質を捉え、自分の思想へと結びつけるべきだと思います。

大西優司

2019年10月
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