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2018年11月10日

言葉の行く先は?

先日、バンド「amazarashi」が新プロジェクト「新言語秩序」を発表しました。

以前から生きることへのアンチテーゼや弱さの肯定などをテーマとし、世に溢れている一般的なJ-POPの楽曲とは一線を画す楽曲制作を行ってきましたが、今回のプロジェクトは現代日本に向けた強烈なアンチテーゼとなりうるものでした。

 

 

 皆さんは「言葉狩り」という言葉をご存知でしょうか?

文字通り「言葉」を「狩る」ことです。特定の語句を悪とし、報道や出版などで世に出させなくすることの蔑称です。

この「狩り」の被害者として有名な言葉には「子供」「障害者」「看護婦」などがあります。悪いイメージがつく、性差別的であるという理由から「子ども」「障がい者」「看護師」という表現にすり替えられてきました。

 

 

 今回の新プロジェクト「新言語秩序」のモチーフは、そんな言葉狩りや表現の狭量さである、とamazarashi・秋田ひろむ氏は語っています。

発言を見張りあい、逸脱した表現を用いた者には再教育という名の制裁を下すディストピアの物語なのですが、私にはただの物語としては考えられず、現代日本が抱える問題の一つとして捉えています。

 

 

言葉を過度に規制すれば、行きつく先は決まりきったテンプレートのような表現ばかりです。日本語の長所の一つに「表現が豊かである」というものがあるのに、それを無くすのみです。

また、攻撃的・ハラスメント的な表現の過度な規制も、人を傷つける表現は良くないですが、ただ性悪説に則り臭いものに蓋をしているにすぎない行為であると考えます。

 

 

 人を傷つけるのが言葉なら、人を幸せにするのも言葉です。

 言葉によって人がマイナスに変わるなら、プラスにも変わります。

 かけられた言葉によって人が形作られているのです。

 

 

 「言葉を取り戻せ」という抵抗運動と自ら評したこのプロジェクトの行く末を見守るとともに、現代日本の表現の狭量さについて考える機会としましょう。

(※ここでの「プロジェクト」とは楽曲制作やライブ・またその演出を一纏めにするために用いられた言葉です。)

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